Aidea! -かんのすけブログ-

教育をカジュアルに。

Teacher Aide の日

みなさん、アローラ!

新作が出たにも関わらず、アローラ地方に囚われ続けている男、かんのすけです。

 

先日、2019年12月1日に、Teacher Aide は設立1周年を迎え、日本各地及び世界数都市において、様々な活動が行われました🛫

 

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ちなみに僕は、"Teacher Aide Next Step" という動画をバンクーバーから投稿しました☕

 

また、#せんせいさいこう をトレンド入りさせるという企画も行い、皆様のご協力のおかげもあり、企画を成功させることができました!

 

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更に、重大発表と称して、3つの情報を Twitter で発信しました。

 

重大発表① 【熊本支部 & 埼玉支部の設立】

重大発表②【Teacher Aide Labo の設立】

重大発表③【クラウドファンディングの実施】

 

それぞれの発表内容については、別の記事に書きたいと考えています。

 

さて今回は、"Teacher Aide の日" に込められた「組織としての思い」と "Teacher Aide の日" を終えた後の「個人としての思い」について書いていきます。

 

組織としての思い

 

1つ目の思いは、「先生方に愛を伝えたい!」です。

 

トレンド入り企画の概要にも、「先生への感謝や励まし、頑張ろう!という想いを #せんせいさいこう と呟いて頂きたい」と書きましたが、オンラインとオフラインの両方で、この思いを伝えることを目指しました。教師の問題行動、労働環境の過酷さ、保護者とのトラブル…など、暗いニュースが目につきやすい世間の中で、「教師に対する無償の愛」を持つ人の存在は、先生方の大きな支えになると思い、意識的にそれらを可視化することを狙っていました。

 

2つ目の思いは、「当事者意識を持って欲しい!」です。

 

「せんせいさいこう」は、「先生最高」「先生再興」「先生再考」と3つのパターンが存在します。「先生最高」と「無償の愛を表現するパターン」もあれば、「先生再興」「先生再考」と「問題提起をするパターン」もあります。「教員1人ひとりの幸せ」を実現するためには、どのように問題を定義し、どのように問題を解決していく必要があるのか。Teacher Aide の日が、そのことについて考える機会になればいいなあと思っていました。

 

3つ目の思いは、「世間の注目を集めたい!」です。

 

SNSの拡散力を利用したり、新聞の記事として取り上げてもらったりすることで、比較的多くのアテンションを得ることができ、普段ではリーチできなかった層にも、少なからずリーチできたと思っています。世間の注目を集めたかったのは、少しでも多くの人に、「仲間の存在」を知覚してもらいたかったからです。仲間の存在は、理想の未来を創っていく上での「支え」になるのは勿論のこと、仕事を含めた日常生活の「支え」にもなり得ます。この雰囲気を共有する人たちの輪を広げていくことができれば、社会全体で問題解決に挑むことも可能になるのではないでしょうか。1人では不可能なことも、チームなら可能になるかもしれません。

 

mainichi.jp

 

個人としての思い

 

1つ目の思いは、「意図の共有が甘かった!」です。

 

「先生最高」に込められた思いは、「無償の愛を伝えること」であり、「やりがいを過度に強調したい」という意図は全くありませんでした。しかし、結果として、そのように受け取れるメッセージが、#せんせいさいこう に含まれ、「現状を追認している印象を受ける」という理解を生んでしまったことも事実です。SNSというツールを使う以上、避けられない現象ではありますが、企画を公示する段階で、もう少しセンシティブになる必要があったと考えています。

 

2つ目の思いは、「仲間の存在を認識できた!」です。

 

"Teacher Aide の日" を通して、多くの人が「教員の幸せ」という文脈に関心を抱いていることを認識できました。これは、Teacher Aide として活動している我々にとってだけではなく、過酷な労働状況で働いている先生方や、同じ問題意識を持っている方々にとっても、何らかの希望を与え得る気付きだったのではないでしょうか。

 

3つ目の思いは、「行動変容を促す道筋は1つしかないのか!」です。

 

ここから、少し本質的な話をします。長い間、言語化しようと悩み続けている事ではあるのですが、「マイノリティにポジションを取ることへの抵抗感」が気になっています。往々にして我々は、「問題を解決するためには、別のポジションを取ることが必要だ」と分かっていても、そのポジションがマイノリティであるが故に、なかなか1歩目を踏み出せないという状況に陥ります。「社会」と「個人」が限りなく調和している日本の社会では、「風潮」というものが意思決定に作用する可能性が高く、その風潮はマジョリティの側にあることが普通です。「マイノリティにポジションを取ることへの抵抗感」は、おそらくこの辺りの感覚からきているのだと思います。

 

では、このような背景に立った上で、我々が起こすべき行動は、「マイノリティへの参加を促すこと」のみに限られるのでしょうか。僕は、「必要性」や「価値」を原動力に、自らの力だけでマイノリティにポジションを取れる人は、全体の一部に限られると考えています。多くの人は、「行動を変えることで、他の人に迷惑をかけてしまうかも…」「行動を変えることで、変な人だと思われたらどうしよう…」などと考えてしまい、変化に対して少なからず抵抗を感じてしまうと思います。三方よしの精神」が大切にされる日本においては、それが最も自然です。そしておそらく、「部活の顧問を断る」「宿題を廃止する」「定時退勤をする」(あくまで一例)といった様な行動を取ることも、現時点ではマイノリティに位置していると考えます。そこに進んで飛び込める人は、多くはないでしょう。

 

上記のアプローチを「マイノリティへの参加を促すことによって、マイノリティをマジョリティにしていき、それによって社会を変えていく行動ベースのアプローチ」と定義するなら、僕が投げかけたいのは、「マジョリティに身を置く実感を得ることによって、行動変容への抵抗感が下がった人たちが何らかの行動を起こし、社会を変えていく風潮ベースのアプローチ」の可能性です。「行動変容が支えられている」「行動変容が承認されている」という風潮を作り出すことができれば、行動変容への抵抗感を減らすことができます。僕が提案するのは、その土壌を先に作りにいくという戦略です。要するに、「行動を変えて、マジョリティを作る」のか、「マジョリティを作って、行動を変える」のかという話です。どちらがより優れているのかという話ではなく、個人の行動変容をベースとしたボトムアップ型の解決法を取る場合、この両輪を回す必要があるのではないかという問いかけです。先駆者的にマイノリティへと飛び込み、そこから可能性を提示する動きと、行動変容へと導く心理的な安全や安心を築く動き。両者は矛盾しないどころか、シナジーさえあると僕は思っています。

 

そして、Teacher Aide アイリボンは、「教員1人ひとりを幸せにする」というビジョンに共感していることをカジュアルに表明できるリボンです。我々は、リボンの輪が拡がることで、問題解決に対するポジティブな風潮を作りだ出せるのではないかと考えています。

 

https://twitter.com/Teacher_Aide/status/1198950810865917952

 

最後に

 

我々が言っている、「組織から概念へ」というキャッチコピーは、マジョリティへの挑戦を意味しています。「組織に属する」ということは、圧倒的なマイノリティであり、その形式に囚われている限り、マジョリティには決して成り得ません。

 

しかし、”Teacher Aide" = "教員1人ひとりを幸せにする” を概念化し、組織に属する否かに関わりなく、あらゆる人と共有することができれば、Teacher Aide はマジョリティに成り得ます。

 

僕は、それが実現した先の未来に希望を感じているし、何が起きるのか楽しみでもあります🌸

 

1年経って、Teacher Aide の目指すべき方向性が見えたような気がします。勿論、現時点の。

 

また、今回頂いた「現状を追認している印象を受ける」という指摘は、重く受け止める必要があると思っています。なぜなら、「探しているものはそこにあるが、望むものはそれではないから」です。全てを見直し、次の取り組みに生かしていきます。

 

そして、1周年おめでとう。

 

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teacher-aide.com